あの風に吹かれて 〜blowing the wind〜

「風に吹かれて」徒然なるままその日暮らし。気づいた事感じた事を勝手に書き綴っていきます。

倉田百蔵と親鸞、善鸞、唯円

最近、歴女、神社仏閣巡り、ヨガなどをする女性が増えて、


IT起業家が瞑想やスピリチュアルなどを積極的に取り入れて、


世の中は宇宙観ブームとも言える気がするのは私だけだろうか?


私の場合、親が「ヒーラー」という特別な環境で育ったため、


それとは全く関係なく、当たり前にあったものだったためさしも関心を示さず、
反発してきた。


そんなエピソードも理解している、とある歴史的人物の血を引く方から、勧められた本が


倉田百三 「出家とその弟子」


である。



倉田百三の生涯は、肺結核や肋骨カリエス、強迫神経症など心身の病との戦いにあったようで、闘病やどん底の時期に名作を残した作家との評価がされている。


その傑作が「出家とその弟子」。


中心人物は、浄土真宗の開祖、親鸞聖人と、その息子である善鸞、そして側近の弟子である唯円だ。


誰しも人間は欲があり、やましい事は必ずあるだろう。


人には「悪の心」があるのが当然であり、阿弥陀仏に帰依する事はある種、心あり苦しむ人間においては当然のサガとも言えるのではないか?


内容について、私などが論評する次元にはないが、


倉田百三氏は、当時、ご自身の心の動きを、唯円、善鸞に重ねて表現していたのだろうと感じた。


遊女に身を滅ぼしたい気持ち、父に会いたくても嘘でも今生の別になったとしても父を受け入れられぬ息子の思い。


誰しもが通る、人生の道を素の心で綴った作品だと感じた。


余談になるが、倉田百三は晩年、精神科医で「森田療法」を考案した日本の精神科療法の重要人物である森田正馬に診療を受けている。




その数年後に、症状は寛解している。


信仰心、男女、家族、心身の病気・・・


人間であることの意味について考える、良書との出会いに感謝。

ドイツ・イギリスと仏教経済学

SDGsという言葉を、あちらこちらで聴くようになった。

持続可能な開発目標SDGsエス・ディー・ジーズとは

持続可能な開発目標(SDGs)とは,2001年に策定されたミレニアム開発目標(MDGs)の後継として,2015年9月の国連サミットで採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」にて記載された2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す国際目標です。17のゴール・169のターゲットから構成され,地球上の「誰一人取り残さない(leave no one behind)」ことを誓っています。 SDGsは発展途上国のみならず,先進国自身が取り組むユニバーサル(普遍的)なものであり,日本としても積極的に取り組んでいます。

SDGsとは? | JAPAN SDGs Action Platform | 外務省


僕は2017年にサステナビリティについて、ストックホルムの飲み屋でビールを飲みながら話を聞いたのが最初だった。


あれから4年。コロナウィルスの大流行に生活の大激変や、イーロンマスクら新時代の宇宙時代の産業改革、クラブハウスの流行などSNS新時代と、世界は僅かな期間に常識がひっくり返るほど変化して来ている。


先日ある知識人の事務所でお会いした時に出た言葉。


「今の時代だからこそ、仏教経済学が注目され始めている。」


エコノミー(economy)=経済学
ブディズム (Buddhism)=仏教


仏教経済学(ぶっきょうけいざいがく、英:Buddhist Economics)は、ドイツ生まれのイギリス経済学者、エルンスト・フリードリッヒ・シューマッハーによって、1966年に提唱された経済学で、応用仏教学の1つである。寺院経済学ではない。


仏教経済学は簡素(少欲知足、無執着)と非暴力を基本とし、最小資源で最大幸福を得ることを目的とし、経済として自利だけではなく利他も目的とする。これに対し、資本主義的経済学では、物資の消費量を幸福の指標とし、自利の追求のみを目的としているため、正反対である。


仏教経済学 - Wikipedia


Buddhist Economics 仏教徒の経済活動 とでも直訳したら良いのだろうか?


仏教経済学は上記の通りである。


何か気づかないだろうか?


持続可能な開発目標を唱えている、SDGsの理念と重複する部分が多いのではないだろうか?


20世紀から21世紀にかけて、資本主義経済学が優先され、全ては消費と資本が優先されて来ていて、未だなその傾向は加速している様に見える。


私たちは地球上に生かされている生物、人間である。


大事な事は、仏教であることでもSDGsを暗記することでもない。


自分自身の、日々の生活の中で何が出来るのかを一人一人の持ち場で考えて行動することだと思う。


特に、仏教が根付いた日本に生まれ、生活している人ならば、この時代に対して何か果たすべき役割使命があるのではないだろうか?


夜風のコンセント リターンズ(愛知県一宮市神社編)

愛知県めぐり、名古屋の旅に行ってまいりました。


午前はトヨタ幹部御用達(地元情報)の日進市。午後は伊勢参り一宮、一宮でした。


早速、本日の食事内容から…


①朝は愛知名物のモーニングサービス付きコーヒー(実は一宮発祥)


②昼はアジアン料理屋で生春巻き付きのハチミツナンカレー


③夜は居酒屋にて、刺身盛つきほろ酔いセット


④車内にて天むす(実は三重県発祥)


記録すると分かるけど、カロリーオーバーも甚だしいなぁ…


痩せぬ理由が分かった。


それはさてをき、


タクシー運転手が「指したる名物が無い」と話す一宮。
「そもそもは伊勢参りの一宮が名前の由来で、繊維で栄えた街だけど、今はベッドタウンで名古屋に勤めている人が住むための街だよ。」
との事。


その一宮に「大神(おおみわ)神社」という神社があるのをご存知だろうか?


奈良にある、三輪山が御神体の総本山である。


その昔、崇神天皇が疫病が流行った際に祀ったとされる。
祭神は大物主神。


御神徳は 産業開発 五穀豊熟 無病息災 法除け 縁結び。


実はこの神社には不思議なエピソードを、実際にリアルに体験した知人がいる。


その知人は、脳梗塞になり歩けず、抱えてもらいながら行ったのだが、境内に入ったとたん自力で歩けるようになったそうだ。


信じるか信じないかは別だが、彼は確かに後遺症は残しつつも、自力で歩いている。


また一宮にはもう一つ、真清田神社という神社があり、大神神社と一対で一宮とされていた。尾張大名神8座の一つでもあるらしい。



「少しでも、今を生きる人が疫病、障害に苦しむ人が救われる事を…」


そんな気持ちで願い、祈りました。


もし皆様の周りで、そんな願いを抱えている方がいたなら、一度この神社も訪れてみてはいかがでしょうか