あの風に吹かれて 〜blowing the wind〜

「風に吹かれて」徒然なるままその日暮らし。気づいた事感じた事を勝手に書き綴っていきます。

過去を「捧げる」

無邪気に未来を語り、互いを傷つけ、

さらにその傷を舐め合った日々。


「友とは永遠に…」


あの日、彼は何を手放し、何を得たのか?


人の記憶は、虚ろいやすく彷徨える存在。


きっとみんなの信じた

因果律の奏でるカルマの

前後に繋がる螺旋が現世なのさ。


「今を生きる」


ティーチャーはそう言ったけれど、

その方法を君は知っているか?


シナプスがどんな数であろうと、

所詮、君も彼女も同じホモ・サピエンスさ。


「今日人類が初めて土星についたってさ」


爽やかな風が優しく吹き抜け、


風は未来を連れてくる。


「シンギュラリティ」を超えても人は生き続けると信じたいから。


「生業セラピスト」が障害について思うこと。

プロフィールにも書いていますが、

普段私は、


オキュペーショナルセラピスト

occupational therapist (OT)


という仕事をしています。


日本語名は作業療法といいますが、


私はこの作業療法という名前が嫌いです。


「occupation 」の訳として正しいのは、


「生業」


だと思っています。



御存知の方も多いのかもしれませんが、知らない方もまた多いのが事実です。


もし初めて聞いたのであれば、これを機にそんな職種があることも知ってもらえたら幸いです。


ご本人が病気になり、入院されたような方ならば知っているのかもしれませんが、普通に生活していれば会わない職種かもしれません。


この13年間でたくさんの障害を持った方々と関わって来ましたが、あまり特別に感じたことはありません。「個性の一部なのでは?」と感じます。


そして、特に精神疾患や生活習慣病に関しては、環境因子が強く影響している気がしています。


相互作用なのだとは思いますが、これは治療に関わる上で重要なファクターだと思っています。


人は役割が違います。家族、友人、他人。

同じことを話しても、人によって影響は全く変わります。


そしてここが大事なポイントなのですが、

裏を返すと


「自分が変わると相手が変わる」


のです。


この視点が欠けた人が本人、あるいは他人の症状を悪化させることが多い気がします。


アドラー心理学ではないですが、一見気を使って荒波を立てないように取り繕うタイプの人です。


自己主張は度が過ぎれば嫌われるのかも知れませんが、影で溜め込むことは人格破壊につながります。


なんか、過熱してしまいましたが私は


「オキュペーショナルセラピー」


は専門家が居なくても自分や周りの人で出来るものだと思っています。


世に浸透して、皆が少し意識を変えるだけで世の中の見え方が変わり、より生活しやすい社会に徐々に波及していく気がします。


もし興味があればご質問いただいても構いませんし、困っている人は少し


「オキュペーショナルセラピー」


について調べてもらえたら、ヒントがあるかも知れません。


余談でした。


引き続き、ポエムの応援もよろしくおねがいします。



本当の偉人は「すぐ側」にいる

「あの日の弁当の材料が、何もなかったから芋のつるを入れたのよ。」


女学校時代を語るあなたは、背中が曲がり歩くことすらままならない。


おまけに生きる意欲を失い、誰が声をかけても病床のベットから起きようとしなかった。


「小説は好きだったの。〇〇さんとか」


あなたは次々と、私の知らない名前を悠然と語る。


理不尽な時代の波に呑まれ、


問屋の令嬢は農家に嫁ぎ、


雨に打たれ、風にさらされ、


姑に奴隷のように扱われ。

それでも、命を、この国を必死で守り繋いできた。


誰が偉人でも構わない。でもこんな人達が埋もれて忘れ去られてしまうのは、僕には耐えられない。


「あなたの小説いつか読ませてね。」


あなたと話したあの話を、


僕はいつか現実にしたくて。


あなたの生き様を「誰かに」伝えたくて。