あの風に吹かれて 〜blowing the wind〜

「風に吹かれて」徒然なるままその日暮らし。気づいた事感じた事を勝手に書き綴っていきます。

シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| あれから26年。18歳の私が見た「新世紀エヴァンゲリオン」の完結。

春風が心地よく、テラス席にてお茶を飲みながら午後の時を過ごしていたら


妹からLineにて


「エヴァ見た?」


とメッセージ。


僕は中学生時代、庵野秀明監督の「不思議の海のナディア」が好きで、


「ナディアやめろ」


といじめられた記憶がある。


その3年後、「新世紀エヴァンゲリオン」が大ヒットして社会現象を起こした頃から


世界の「オタク」に対する空気は変わった。


とまぁ、日の目を見ぬ自分の歴史の重要な分岐点にあった作品の結末。
僕自身、過去からは卒業したつもりだったが、


とりあえず行ってみようと即決。


劇場はIMAXで、大スクリーン大音響だった。


ただ、時間が2時間45分あり、残り1時間は尿意との戦いだった。


感想を結論から先に話すと、


「庵野監督、お疲れ様でした。」


と感じました。



「新世紀エヴァンゲリオン」
がその後もブームを起こした理由の一つに、ラスト数話の解釈がありました。


エヴァの解釈は人それぞれ様々で異論はたくさんあると思います。
浅はかな解釈ですが、少し書かせてもらうと、
アニメシリーズでは


「僕はここにいてもいいんだ!」


シンジくんは、心を開き、自分の存在を認め、皆に祝福されて


「おめでとう」


と終わります。


これが、人類補完計画や、ゼーレのシナリオ、また他の登場人物の生死など様々な謎を残したまま、終わったことで、話題が一人歩きしたのだと思います。


名作を作る創作者は、自分自身と対峙した時にその名作を生み出すものかなと思います。


1995年当時

私たちの世代は、バブル崩壊後のカオスの中で思春期を過ごしていましたし、

当時30代であったであろう稀有な感性と繊細さ、探究心を持った庵野監督にとって(会ったことはないけど、多分…)、社会と人の心、男と女、大人(両親)と子供などのテーマはおそらく彼自身の中にあったものが投影されていたのではないだろうか?


おそらく監督の心が投影されたので間違いないだろうないう理由は、映画の最後にあります。


しかし、エヴァンゲリオンの成功によって、彼はアニメ界においては神の領域に達した。

それは彼に予想外の環境変化を及ぼしたのではないか?


そして、その混沌と迷い、苦しみの先に、新たな大切な運命の出会いを与えたのではないだろうか?


ネタバレするのは申し訳ないし、解釈の仕方は人それぞれ。


もし、新世紀エヴァンゲリオンに関わる世代を理解したい人、

また、エヴァに影響された時があった人は、一度見てみることをお勧めします。


ただし、開始直前にトイレに行くことを絶対、お勧めします。